lassiのブログ

日々の思い付きやひらめきをつらつらと。。

自己責任論者をかばう僕は変わり者ですか?

 

 

幼少期から教育を受ける機会に恵まれている子はたくさんいる。

 

たとえば、近くにそれはそれは高級感漂うマンションがある。僕が最初、外から玄関を見たときにホテルのロビーかと見間違えたくらいの。笑

 

そこにもちろん子供がいる家庭もあるようで、小学生の子たちがそのマンションを出入りしているのをよく見かける。

 

制服を着ているし、みたとこ電車で通学しているらしいので、どうやら私立の小学校のようだ。

(驚くことなかれ。この日本には「小学校受験」なるものが存在する…。)

 

 

あるいは、バイト先に小学生の子が生徒として来ることもある。

塾のほかにもなんだか色々と習い事をさせられているようで、毎週毎日何らかの習い事で遊ぶ時間がないとグチをたれている。

 

 

 

そんな彼らを見れば、ほとんどの人がこう思うわけだ。

 

「あんなに勉強させられてかわいそう。小学生ならもっと遊べばいいのに」と。

 

僕もそう思う。

そんな僕の思いをよそに、気ままに遊べる貴重な時期を勉強にあてて、彼らはきっと今日も頑張っている。

 

「今日の放課後、〇〇公園に集合なー!!」なんて、みんなが楽しげな約束をするのを尻目に一人、毎日頑張っているのだ。

 

 

「そんなに頑張って偉いね〜」と声をかけたくなる。

 

 

 

ところが、彼らがいざ大人になってちょっと成功すると、周りの反応は一変する。

 

「なんだかんだ自分、昔から頑張ってたよなぁ。今の自分があるのは、ずっと努力してきたからだよね。」

 

 

…なんて言おうものなら、

 

「お前は家が金持ちだったから成功したんだろ。運よく恵まれていただけのくせして偉そうに、知った風なことをぬかすな」

 

と、口々に言われることになる。

 

 

そう言いたくなる気持ちもわからなくはない。

親の所得水準と子供の学歴に相関関係があるという事実は、あまりにも有名だ。

 

 

でも、だからといって

「そうだな。あいつが成功したのはたまたま置かれた環境がよかっただけだよな。分かるわ~」

 

という気にもなれない。 

 

 

だって、僕は彼らが頑張っている姿を見てきたから。

遊びたい気持ちを抑え、やりたいことを我慢して、

 

頑張ってきたその姿を知っているから。

 

 

先述したマンションの子たちやバイト先の生徒が将来成功したときに、

 

彼らの過去や努力がそんな風に否定されてしまう社会は、ちょっと歪んでるとさえ思う。

 

 

 

今ちょうどDaiGoの自己責任論が炎上しているけど(ちょうどというか、だからこれを書いてるんだけど)、こういう時に決まって見かけるフレーズがある。

 

「どうせあいつらは俺たち一般人のことなんて分からない」

 

 

 

「あいつら」は、俺たちのことなんて分からない、ねぇ。

 

 

じゃあ逆に聞くけど、

こう言う人らは「あいつら」のこと、分かってるんだろうか。

 

 

 

松丸兄弟を変えた母親の死

 

DaiGoの弟にあたる松丸亮吾さんも現役で東大に入り、なぞ解きゲームで一躍有名になった。

 

今でこそ穏やかでまじめな好青年といった印象の亮吾さんだが、

母親の順子さんを亡くした2012年当時は反抗期真っ盛りの高校生で、グレて学校も行かずゲーセンに入りびたりだったそう。

 

 

実は順子さんの死因となった病気のことは、DaiGoはじめ、息子たちには長い間伏せられていた。

 

グレて母親を遠ざけていた亮吾さんがすべてを知ったのは、順子さんが亡くなる直前のこと。

 

「(今の自分があるのは、母が)ここまで育ててくれたおかげなのに、一度も感謝の言葉を言えなくて…」と、深い後悔を抱えることになった。

 

 

順子さん亡き後の遺品整理。

 

そこで見つけた順子さんの日記の最後に書かれていた、順子さんの目標。

 

 

「もっと頑張れたら、亮吾が大学生になるのを見ること!」

 

 

 

声も出せず、呼吸すら自力ではままならなかった状態で順子さんが記した1行。

 

その1行を目にし、涙を流したそのときから、

亮吾さんは東大進学を目標にしたそうだ。

 

 

「どうしたらもっと点数があげられるか」

「このやり方で本当に成績が上がるのか」

 

1年間勉強に勉強を重ね、

 

ついにつかんだ東大現役合格。

 

母親の願いを実現し、一家全員で喜んだこと。

 

それでも、亮吾さんは自分の母親に合格を直接伝えられなかったことを、今でも後悔していること。

 

DaiGoも、長男でありながら順子さんに最先端の治療を受けさせてあげるだけの資金がなかったことを引きずって、「お金は汚い」という考え方を改めたこと。

 

 

 

「あいつら」は自分たちのことなんて分からない、と人は言うけれど、

自分は相手のことを知る努力もしないで、自分のことはわかってほしいだなんて、

 

そうは問屋が卸さない。

 

 

それぞれの思いを胸につかんだ彼らの今を、「才能のおかげ」「親が金持ちだったから」といって切り捨てるのは、

 

彼らの思いと努力を全否定しているように思う。

 

彼らのあの背景を知ったうえで、そんなことができますか。

 

 

僕にはできないな。

 

 

 

 

ほとんど勢いで書いたので少し冗長かも。

なんだかここらへんで僕自身もう満腹なのでいったん切ります。

 

 

今のところ、つぎは自己責任論者と反対論者、何が彼らを分けるのかについて書くつもりです。

 

 

今までとはガラッと雰囲気を変えてみたけど、

ここまで読んでくれた方はいるんだろうか。笑

 

 

もしいたら…本当にありがたいですよね。

 

ありがとうございました〜!